鎌倉美術館ツアー2 | 鏑木清方と「刺青」

5.19.2015

in KAWAGUCHI 朗読者、鎌倉へゆく

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さて、「朗読者 と行く鎌倉美術館ツアー」レポート第2回です。

にぎやかな小町通りも小脇に入ると、古都鎌倉の趣きある住宅が連なります。
その閑静な小路に不意に現れたのが、『鎌倉市 鏑木清方記念美術館』。
格子戸の正面玄関から緑の細道の奥に、更なる静けさをたたえた佇まい。この門をくぐれば、ほんの少し時間をさかのぼって、そして清方に会えるのではと思ってしまうような、そんな空気の音です。

鏑木清方記念美術館
鏑木清方記念美術館


それもそのはず。
この場所は清方が晩年の十八年間を過ごした旧居跡で、特に正面玄関は、当時の材料をそのまま使用・復元しているのです。幾度となく清方が出入りした格子戸が、私達に当時の追体験をさせるのかもしれません。

さて、門をくぐる前に、鏑木清方について少しお話を。

清方は、明治11年に東京・神田に生まれました。
父親は戯作者でジャーナリストの条野採菊(じょうのさいぎく)。
父の影響を多く受けていた清方は、幼い頃文筆家を夢見ていたそうですが、明治24年13歳の年に、父や三遊亭圓朝の勧めで挿絵画家を目指し水野年方(みずのとしかた)に入門します。

月岡芳年
『奥州安達がはらひとつ家の図』
水野年方という人のお師匠さんは、月岡芳年。
この人は「血まみれ芳年」と呼ばれ、陰惨な浮世絵で有名な浮世絵師。
幕末から明治初期にかけて活躍しました。
左の絵は明治18年に刊行され、明治政府に発禁処分を受けたもの。
安達ケ原の鬼婆伝説(黒塚伝説)をモチーフに、食人鬼と化した老女が妊婦を解体しようとしている場面。。。

歌川国芳
『相馬の古内裏』
そして芳年の師匠は歌川国芳。斬新奇抜なアイデアで知られる江戸末期代表的絵師です。
平将門の娘・滝夜叉姫が操る巨大骸骨が何ともポップな左の作品や、人間の裸体を寄せ集めて人の顔を描いた‘寄せ絵’、猫を擬人化した作品など、枠を感じさせない魅力があります。


さらに国芳の師匠が初代歌川豊国、兄弟子が歌川国貞、のちの三代目歌川豊国です。

歌川豊国→歌川国芳→月岡芳年→水野年方→鏑木清方(→伊東深水)

という流れ。
さて、鏑木清方を語るのに何故歌川豊国まで遡ったかと言いますと……。
朗読者 in KAWAGUCHI vol.7、8で上演した谷崎潤一郎「刺青」と繋がりがあるのです。

谷崎潤一郎 刺青


『もと豊国国貞の風を慕って、浮世絵師の渡世をして居ただけに、刺青師に堕落してからの清吉にもさすが画工らしい良心と、鋭感とが残って居た』
(谷崎潤一郎「刺青」より)


「刺青」の主人公・刺青師の清吉は、‘歌川流の浮世絵師だった’という設定です。
また、清吉のモデルは月岡芳年だと説いている人もいます。(こちらの説は、想像の粋をでていないんじゃないかなぁと個人的には……)

ね!鏑木清方と「刺青」、繋がっているのです。

そしてもう1点。
今回のツアー、私達の一番のお目当ては鏑木清方作《墨田川両岸》※川口市所蔵の対幅。


『彼は深川佐賀町の寓居で、~』
『~大川の水に臨む二階座敷へ案内した後、~』
『春の夜は、上り下りの河船の櫓声に明け放れて~』
(谷崎潤一郎「刺青」より)


深川佐賀町とは、佃島に程近い墨田川下流のこと。大川とは墨田川下流の通称。
そう、清吉の住居兼仕事場は墨田川沿いなのです!

「刺青」公演の翌月に《墨田川両岸》の展示される企画展があり、清方を遡る事で「刺青」との繋がりを見つける。
縁を感じずにはいられません。

さて、清方のルーツに触れたところで、そろそろ作品に会いに行こうかと思います。



鏑木清方記念美術館公式サイト http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/
鏑木清方記念美術館公式twitter https://twitter.com/kaburaki_museum